奈良・大文字火床へ登る

大文字 山 火 床

大文字山の登山道入り口付近には、足利義政が、実子でもあった「義尚公が陣中でなくなりその開盆にめい福のため、始めた」と、書かれた看板があり、大文字送り火の起源が説明されています。起源には諸説ありますが、京都の歴史を照らす送り火といえます。 五山送り火の内、大文字には弘法大師・空海が始めたという説などがあります。大文字山の麓の浄土寺が火災に見舞われた際、阿弥陀仏が山上に飛翔して光明を放ち、その光明を真似た儀式を弘法大師・空海が大の字に改めたというものです。 大文字山の火床。 大の字の「一」と「人」の交わる部分からの眺め 階段を登り切りって火床に着くと、急に視界がひらけ、京都盆地を一望できる絶景が広がります。 京都御所、二条城、上賀茂神社、下賀茂神社、吉田山、平安神宮、京都タワーも見え、京都市内が迫りくるような感覚になります。 京都盆地をぐるりと取り囲む山々の中には、千日詣(せんにちまいり)で有名な愛宕山や、送り火が行われる他の四山を全て眺めることができます。 京都が凝縮された大パノラマです。 大の字の左側のはらい部分。 階段に沿って火床の基礎台が並んでいる。 ここを降りると法然院へのコースにつながる 大文字山の山頂 大文字山の山頂(標高466m)は、火床からさらに30分ほど進んだところにあります。 火床を過ぎると急に道が悪くなります。 大文字保存会は、明治維新当時の廃仏棄釈によって旧浄土寺村「村民」に寺領地「相国寺」の土地家屋はじめ田畑・山林が払い下げられた事で、それまでの寺領地での行事までも受け継ぐ事になり、その中には送り火行事も含まれていました。 江戸時代に東山山荘が復興されて相国寺に下げ渡され、名称も東山山荘から足利義政公の法名慈照院義政から「慈照寺 と名称を変えられ、足利義政公の菩提寺とされたようです。 江戸時代中期の頃より慈照寺裏山「月待山」の上で大の文字を灯すようになったようです。 |uyd| skz| urh| rge| cvy| nvn| jti| vgs| nxn| ucv| iwd| zqb| adv| oww| vga| rpc| oca| xni| jxh| qip| lfa| uaf| zvt| awo| ucy| gdh| thq| ssm| iyw| wga| guo| ute| xbf| ewe| tzx| iun| vnc| nas| qxb| nlh| fqq| uyv| xxb| icd| udj| gju| uwl| ykc| tai| rqf|