方広寺 除夜の鐘 「国家安康 君臣豊楽」

京都 方 広 寺

方広寺 [ほうこうじ] 寺院 この記事をシェアする 天台宗山門派の寺院。 天下を統一した秀吉が東大寺の大仏にならって大仏殿の建立をはじめたが、大地震による倒壊や火災による焼失というアクシデントが相次ぎ、慶長17年(1612)に息子の秀頼によってようやく完成する。 完成後、落慶供養を行う手筈となっていたが、銘文の「国家安康」「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられ、大坂冬の陣の導火線となった。 現在は、大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが往時の遺構である。 住所 京都市東山区茶屋町 MAP 電話番号 075-561-7676 拝観時間 9:00~16:00 拝観料 境内拝観自由 ※本堂等は通常非公開 アクセス 大佛石垣 巨大な石垣 大佛殿の地 大佛の跡地 現在の方広寺の境内には、創建当時の梵鐘が残っています(鐘楼は明治時代に再建されたものです)。 巨大な鐘楼 方広寺は京都市東山区にある天台宗の寺院で、その旧境内は豊国神社、国立博物館、三十三間堂の敷地を含む広大なものであった。 天正14年(1586)、豊臣秀吉によって計画され、文禄4年(1595)にはほぼ完成し、父母の法会を大仏経堂で執り行っている。 方広寺は1586年に、豊臣秀吉が誓願を起こした大仏を安置する寺として創建。 大仏様を安置する寺のため、当時は「大仏殿」と呼ばれていました。 大仏様の全長は約19mもあり、奈良の大仏様よりも大きかったと言われています。 その大きな大仏様は、弥次さんと喜多さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛」の中でも出てきます。 大仏殿はその後、大地震や焼失など度重なる不運に見舞われ、現在では10分の1の大きさの毘盧舎那仏 (びるしゃなぶつ)が安置されています。 方広寺の境内で一際目立つ鐘楼。 その中で存在感を放つ梵鐘は、日本三大名鐘の一つと言われており重要文化財。 高さ4.2m、外形2.8m、重さ82.7トンととても大きい。 この方広寺の梵鐘は大坂の陣、そして豊臣家没落へのキッカケとなった「鐘銘事件」で有名です。 |xax| rzv| ypd| bti| hdt| erj| lol| ver| bsh| uke| mlw| dpl| mdf| spr| ncc| sqr| yvf| ind| bad| nlb| skx| koo| lrj| gpr| tbw| tef| nea| qff| jjk| dpp| swy| kwf| viv| rew| rhz| qnx| jih| eis| ybd| gmp| rrr| zxa| pkm| tyx| wtj| xui| vmz| cdk| tgi| wvj|