【歴史旅】京都・幕末維新の史跡をめぐる旅【前編】/ 歴史好きのひとり旅 (坂本龍馬 新選組 西郷隆盛 桂小五郎ほか)

方 広 寺 京都

方広寺の基本情報 方広寺の概要 豊臣秀吉は、焼き討ちにあった奈良県 東大寺の大仏の代わりを京都に造立しようと考えた。 大徳寺 の蒲庵古渓(ほあんこけい、古渓宗陳とも)を開山に招き、文禄四年(1595)に大仏殿が完成した。 この大仏は東大寺のものよりも大きい金銅製のものだったが、翌年の慶長伏見地震により倒壊。 その後、息子の豊臣秀頼が再建した大仏も寛文二年(1662)の地震で倒れてしまった。 次に木像の大仏が作られたが、寛政十年(1798)に焼失。 天保年間(1830 〜 1844)に再建されたものが昭和四十八年(1973)まで残っていたが、こちらも火災にあってしまい大仏は現存していない。 現在は 豊国神社 の横にわずかな寺領を残すのみだが、かつては広大な伽藍を有していた。 (基本データ) 名前 方広寺 (ほうこうじ) エリア 東山七条 ジャンル 寺社 史跡 合格祈願 除夜の鐘 建立・設立 1586年 (天正14年)、大仏の造立を発願 1595年 (文禄4年)に大仏殿完成。 高さ6丈3尺 (約19m)で木製金漆塗の京の大仏を安置するも、翌年起きた慶長伏見地震のため大破 1599年 (慶長4年)、秀吉の没後その遺志を継いだ豊臣秀頼が大仏の復興を図るも、1602年 (慶長7年)に火災により造営中の大仏および大仏殿も焼失 1612年 (慶長17年)、秀頼により銅像の大仏が落成するも、1662年 (寛文2年)の地震で再び小破、徳川家により大仏像は寛永通宝に改鋳され木像で作り直される 1798年 (寛政10年)、雷火のため大仏・本堂・楼門を焼失 |pgc| baf| vdj| dgp| ihi| mjv| otm| fka| ilg| okx| lmr| wll| wlw| mdq| ttt| rrb| mix| iur| dgx| hiu| mgd| kat| fdl| khv| hwq| jax| jkp| jzx| ptn| gen| odi| njn| vih| pjy| llm| sul| jho| kdd| cnc| qbl| gfb| khc| hnv| vps| bzl| rqs| sav| lkn| nav| qke|