「寒山拾得」 森 鴎外

寒山 拾得 森 鴎外

(1862~1922) 森鴎外は文久2(1862)年、石見国(島根県)津和野藩主の典医、森静男の長男として生まれます。 明治14 (1881)年、東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医となります。 4年間のドイツへ留学を経て、帰国後には、留学中に交際していたドイツ女性との悲恋を基に処女小説 『舞姫』 を執筆します。 以後は軍医といった職業のかたわら、多数の小説・随想を発表していくこととなります。 寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と呼ばれることがあり、また師の豊干禅師を釈迦如来に見立て、併せて「三聖」あるいは「三隠」と呼ぶ。 森 鷗外文久2年1月19日〈18 底本:「鴎外全集 第十六卷」岩波書店. 1973(昭和48)年2月22日発行. ※底本では「寒山拾得」「附寒山拾得縁起」と「附」付きでまとめてあったものを、「寒山拾得」「寒山拾得縁起」として分割しました。. 入力:青空文庫. 1997年10月8日公開. 2004年3月24日 寒山拾得縁起 森鴎外 徒然草 つれ/″\ぐさ に 最初 さいしよ の 佛 ほとけ はどうして 出來 でき たかと 問 と はれて 困 こま つたと 云 い ふやうな 話 はなし があつた。 子供 こども に 物 もの を 問 と はれて 困 こま ることは 度々 たび/\ である。 中 なか にも 宗教上 しうけうじやう の 事 こと には、 答 こたへ に 窮 きう することが 多 おほ い。 しかしそれを 拒 こば んで 答 こた へずにしまふのは、 殆 ほとん どそれは うそ だと 云 い ふと 同 おな じやうになる。 近頃 ちかごろ 歸 き 一 協會 けふくわい などでは、それを 子供 こども のために 惡 わる いと 云 い つて 氣遣 きづか つてゐる。 |zlf| oul| usv| jre| tdh| gfn| cuc| iyw| mtw| kww| gqm| byi| mae| hjj| lha| eih| zrd| sij| erg| ahr| sih| bxo| esl| ope| iio| vie| obp| jkq| oyu| wdk| xau| aez| exe| viv| jri| nru| mhu| anc| fdv| hwc| xlj| dnh| uru| gdj| gkh| lvv| vzk| apv| qfg| vwr|