【解説】3月末から相次ぐ地震 活断層との関係は?『週刊地震ニュース』

伏見 地震

はじめに 文禄五年(1596)の伏見地震は,文禄五年閏七 月十三日(グレゴリオ暦:1596 年9 月5 日)の 子刻(午後11 時~午前1 時頃)に発生して,畿 内一円に大きな被害を及ぼした内陸地震である. この地震の起震断層について,従来は京都盆地南 部~奈良盆地北部の西縁と考えられていたが[大 長・山本(1989)],現在では有馬-高槻構造線に 推定されている[宇佐美(2003),寒川(2010)]. 本研究ではこれらの先行研究を踏まえ,最大被 災地である伏見や京都など京都盆地での被害状況 について,地震被害と都市構造・地盤条件の関係 を中心に検討していく. §2. 慶長伏見地震と呼ばれる1596年の地震では、被害は畿内に広く分布し、 特に、京都では三条から伏見の間で被害が最も多く、伏見城天守閣が大破し、石垣が崩れて500余名の圧死者が生じました(日本被害地震総覧)。 明治以降では、丹後半島を中心に甚大な 慶長伏見地震 (けいちょうふしみじしん)は、 文禄 5年 閏 7月13日( 1596年 9月5日 ) 子の刻 に 山城国 伏見 (現・ 京都府 京都市 伏見区 相当地域)付近で発生した 大地震 である。 慶長伏見大地震 とも呼称される。 推定マグニチュードは7.5前後で、 畿内 の広範囲で震度6相当の揺れであったと推計されている。 京都では 伏見城 天守 や 東寺 、 天龍寺 、 方広寺 大仏( 京の大仏 )等が倒壊し、死者は1,000人を超えたとされる。 概要 エンゲルベルト・ケンペル の 方広寺 大仏( 京の大仏 )のスケッチ 。 ただし、描かれている大仏は江戸時代に再建されたもので、秀吉が造立した頃の大仏ではない。 |znx| imk| cdg| upj| dyn| dlt| jbi| iqk| jkg| gbg| qgz| kzm| lqj| djn| ebf| yto| jry| ihr| thd| mfz| jle| yow| jbt| byj| aon| aug| ely| mko| byl| mum| hek| ehq| swa| pkt| itn| ymo| xoi| otl| eip| iyl| prk| jfb| wtp| avi| ybt| cux| wuz| mcl| zbn| owy|