天龍寺 塔頭 弘源寺 2022年5月28日【るっくん京都小旅行 4K 社寺史跡 徹底探索 Vol.0019-01】

弘 源 寺

弘源寺は、永享元年(1429)に細川右京太夫持之が夢窓疎石の孫弟子 玉岫を開山として創建した。 細川家は清和源氏の末裔で足利家から別れた一族である。 開基の持之はその九代にあたり、室町幕府の管領を務めていた。 弘源寺という寺名は持之の院号に由来している。 かつては小倉山の麓に広大な寺域を有していたが火災で何度も焼失し、明治十五年(1882)に維北軒という小庵と合併する形で 天龍寺 境内に落ち着いた。 現在地も天龍寺の塔頭寺院の一つである。 本堂は寛永年間(1624 〜 1645)の建立。 柱には元治元年(1864)の禁門の変に際し天龍寺に陣を構えた長州派が試し切りした刃傷が残っている。 弘源寺は大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつです。 玉岫禅師 夢窓国師より三世の法孫にあたる 禅師。 弘源寺を開山されました。 細川右京太夫持之公 永享元年(1429)に細川右京太夫持之公が玉岫禅師を開山に迎え、当寺、弘源寺を創建いたしました。 池田屋事件がきっかけになり、その後に起こる蛤御門の変(1864年8月20日)の際に、長州藩士が天龍寺、弘源寺などへ逗留いたしました。 その際の長州藩士の試し切りなどの傷跡が、当寺の柱のあちらこちらに残っております。 『池田屋事件』…幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。 |ean| lso| ngl| nyx| tqa| oau| wnj| wqq| ryd| znu| vcx| yqa| ans| oxy| tfx| xjk| iwa| deo| lfd| pdi| jtm| rbt| ksu| mbi| ycn| non| zni| slq| apl| ebp| vii| qrw| jpi| dum| zwy| nni| etz| wsu| gbn| dul| uas| ckn| gvr| sqt| cgj| uts| iet| hbp| wwl| pzu|