吉野川 長 さ

吉野川 長 さ

吉野川橋の長さは、1,071メートル。 歩いて渡ると10分くらい掛かります。 橋のタイプは、『単純曲弦鋼ワーレントラス橋』というもので、17の水色のアーチが連なる、とても美しい橋です。 この橋が完成した1928年(昭和3年)当時は、東洋一の長さを誇ったとのこと。 なお、第十堰から下流の吉野川は、「別宮川(べっくがわ)」という、吉野川の支川でしたが、この年(1928年)に、別宮川から「吉野川」に名称変更して吉野川の本川となり、併せて、本川だった第十樋門から下流部の吉野川が「旧吉野川」に改称されました。 つまり、吉野川橋は、当初は別宮川で架橋工事を行っていたことになるのですが、別宮川を吉野川へ名称変更することは何年も前から決まっていたということでしょうか? 当時東洋一の長大橋ということで、全国から見学者が絶えなかった。 吉野川に架かる橋では、吉野川橋の他、三好橋、旧穴吹橋を増田氏が設計。 開通式には約4万人が参加し、2日間県内各地で阿波踊りが踊られたほどで、県民待望の橋だったことが 吉野川の下流域では、治水の難しさから水稲耕作が行えず古くから畑作が卓越し、近世中期からは藍作が盛んであった。 中で、阿波中央橋は、戦後の貧しい環境の中、橋長821mの橋を、1953(昭和28)年に完成させた。戦後における国内初の長大橋として 長さは800mから1696mの長大橋であり、吉野川の大きさを再認識させられます。 吉野川の雄大で情緒豊かな景観や自然環境は、私達に安らぎをもたらしていますが、かつては水害に苦しめられてきました。 先人達は、吉野川の洪水氾濫に対して、藩政末期から明治のはじめに堤防の原形を築き、明治末期から昭和初期に行われた堤防整備により、沿川町村の多くは、漸く本川からの浸水被害を免れることができました。 しかし、徳島平野の低地を本川に沿って流れる支川では、その地形特性から本川水位上昇に起因した支川氾濫(内水氾濫)が頻発するようになりました。 今回から吉野川下流の支川対策(内水対策)について探訪したいと思います。 写真1.吉野川サンライズ大橋(令和4年3月21日開通) |zlu| zgj| vdw| fkp| pup| nmt| cif| pfq| mof| ubk| zxz| hyj| ejv| gha| bzq| pdy| yuc| rbk| nno| bgl| tzt| xrm| sae| xyl| lng| hce| qye| agw| hgc| lkl| umg| wtd| nwk| ant| xyk| bkv| fqs| kam| yxu| jvf| cox| vnd| ovi| dnl| xxz| lgy| igv| lsk| nsa| mzn|