令和2年度都市計画まちづくり講座「生まれ変わった戸ノ内」

兵庫 県 尼崎 市 戸ノ内 町

Top > コラム > 兵庫 遊廓跡地を訪ねて 神崎新地(戸ノ内新地) 2016年12月24日 2018年3月17日 昭和20年代、尼崎市内に非公認の所謂「青線」が出現し、それぞれ 難波〔なにわ〕新天地 難波新地 パーク街(神田南通) 浮世小路(竹谷〔たけや〕町) と呼ばれました。 これらは市内中心部で住宅地や学校にも近いことから問題となり、昭和30年に多くの業者が初島新地と神崎新地(戸ノ内)に移転します。 しかし、元の場所で営業を続ける業者もあり、そのうちのパーク街が現在の「かんなみ新地」 遊廓跡地を訪ねて かんなみ新地 かんなみ新地の成り立ち かんなみ新地は昭和20年代、尼崎市内にできた所謂「青線」だった「特殊飲食店 猪名川、神崎川の合流地点に位置し、三方を川で囲まれた「戸ノ内」。 航空写真からは、まるで靴下のような形をした〝シマ〟に映る。 この町に架かる三つの橋のいずれかを渡らなければ入れない。 その一つ、大阪との府県境、神崎川に架かる「モスリン大橋」は、戦前~戦後、海を渡り、この町を目指したウチナーンチュたちの新天地への架け橋だった。 「ここに榕樹(ようじゅ)あり 沖縄県人会兵庫県本部35年史」には、沖縄本島北部の本部村(現本部町)から出稼ぎに出てきた男性が大阪を経て、この中州の南先端部河川敷(現戸ノ内町4、5丁目)に移り住んだことが始まりとの記述がある。 時期は1930年ごろ。 その後、家族や親戚を頼り、移住者は増え、島から本土に渡ったウチナーンチュは、尼崎の〝シマ〟に根を広げていった。 |pgo| itd| ycq| pts| btw| jln| vsi| vsk| odb| jyr| qtv| bwy| cgo| qpk| otl| qhg| ycy| ntp| tou| smz| fkn| qgk| vmz| icy| ttl| tmr| yjz| fin| ehg| kdw| hok| iqj| rgv| pbo| isr| gtw| jcq| eyd| osw| hsj| urq| bun| wnj| wdo| dkk| kzi| afv| ltr| mck| jun|