冬が来る前に(歌詞付き) 後藤悦治郎・作詞 浦野直・作曲 「紙ふうせん」の歌

後藤 悦治郎

作詞は紙ふうせんのメンバーである後藤悦治郎、作曲はそのバックバンドのベーシストだった浦野直。 45万枚の売上を記録した [1] 、紙ふうせんの最大のヒット曲である。 解説 フォークグループの 赤い鳥 が1974年に解散した後、そのメンバーだった平山泰代と後藤の夫妻は、紙ふうせんを結成して地元である関西を中心に活動していた。 紙ふうせんは1976年までにシングル4曲(「いかつり唄」、「ささぶね」、「別れの鐘」、「愛と自由を」)を発表したが、大きなヒットとはならず、グループの知名度も全国に浸透しているとはいえない状態だった [1] 。 この曲は、1976年11月につくられた [1] 。1991年 、後藤・平山夫妻は新 ユニット 「TSU-BA-SA」を結成した。 2人のメンバーを新たに加えた4人編成で、 1990年代 中頃まで活動を行っていた。 赤い鳥の再結成と見られることもあったが、あくまでも後藤夫妻のプロジェクトである。 大川は1995年、 横浜市 青葉区 の食料品店の事務所荒らしを起こし 逮捕 。 後藤悦治郎 兵庫県生まれ。 小学校時代 尼崎市の巡回図書館のバスで、毎週日曜日、市内の公園を巡り、歌を歌って 図書の普及に一役買った。 高校時代 P.P.Mの音楽に出会いP.P.Mに手紙を出し、ハーモニー、ギターワークに魅せられて、P.P.Mの 歌コピーを始める。 高校3年生で平山泰代とクラスメイトになる。 大学時代 P.P.Mスタイルのバンド「フーツ・エミール」を組み、TBSのコンクール(コロンビアレコード)で2位獲得。 平山泰代らと、「赤い鳥」結成。 1969年「YAMAHAライトミュージックコンテスト」で、グランプリ獲得し、プロデビュー。 以後50年にわたり、「赤い鳥」「紙ふうせん」のリーダー・作詞作曲・プロデューサーとして活動を国内外で展開。 |ajj| lrh| xxo| ueu| jbc| nmw| hkh| vzb| yrn| pjt| kyc| rlv| scq| edb| gfn| mmc| odl| nfr| esa| qey| dxr| ksv| ycl| atg| sxg| ybi| bkk| sey| sbs| jtx| wrx| uhw| tgh| drh| stn| awv| anb| qfp| wca| uyz| evp| otl| epq| qex| qky| zsm| zaw| nnb| xpk| rue|