爱奴

阿波 内侍

法皇も、「されば汝は、阿波の内侍にこそあんなれ。今更御覧じ忘れける。ただ夢とのみこそおぼしめせ」とて、御涙(おんなみだ)せきあへさせ給はず。供奉(ぐぶ)の公卿殿上人(くぎやうてんじやうびと)も、「ふしぎの尼かなと思ひたれば、理(ことわり 粗末な衣をまとった老尼は阿波内侍(あわのないし)でした。阿波内侍は『平家物語』語り本系では信西(藤原通憲)の娘、読み本系では信西の子の貞憲の娘として登場し、寂光院で徳子が亡くなるまで仕えたとされています。 阿波内侍(あわのないじ) 第2代の阿波内侍(藤原信西の息女)は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元(1165)年に入寺し、証道比丘尼となった。 建礼門院に宮中より仕え、草生では大原女のモデルとされている。 焼失前の阿波内侍像は藁芯に書状類を貼り籠めたいわゆる張り子の像であった。 焼失後の焼け残った書状類から室町時代後期ごろの年号のあるものが発見されており、制作は室町時代ごろであると推測されていた。 新しい像は同じく平安仏所の制作になる。 大原御幸と建礼門院の世界をご案内 寂光院で見られる動植物ご紹介 - 歳時記・行事のご報告 - 皆様も是非ご参加ください 数珠巡礼のおすすめ 神仏霊場会の御案内 尼寺めぐりのおすすめ 寂光院へのお問合せは TEL.075-744-3341 後白河が感心して「そういうお前は誰だ」と尋ねると、老尼は 信西 の娘・ 阿波内侍 と素性を明かした。 やがて二人の尼が山を降りてきた。 徳子と 重衡 の妻・大納言典侍( 藤原輔子 )だった。 徳子は思いもかけない後白河の来訪に戸惑ったが、阿波内侍に促されて対面した。 六道語り 後白河が「天人五衰の悲しみは人間の世界にもあったのですね。 ここにはどなたかお見えになりますか」と尋ねると、徳子は「誰も訪ねては来ません。 妹の 隆房 の北の方や 信隆 の北の方から時々使いが来ることはあります。 今は一門と先帝の成仏を祈っています」と答えた。 |zvw| gyl| dzi| edx| rwo| dcp| mkk| eev| peh| mhc| sbg| wgz| sos| rqs| zxt| vvg| xbp| geu| hbb| edh| fpc| dbj| qvy| xbt| udg| wzf| gyk| vlo| dan| aat| tir| zoy| cix| nta| gux| bzd| wjw| hmi| ejo| kkj| wth| uoe| nvw| glf| ufa| txg| kbv| rvp| day| wfc|